2018年5月28日月曜日

心の在り方

手がけている難事件が超大詰め。渡部です。


私は思考をするとき,何か別のこと(映画を見ながらだったり,本を読みながらだったり)をしながら,「ながら思考」をします。そうすると割と思考が進むんです。

で,最近は「歩きながら」考え事をします。

私は普段車移動で,全く歩きません。

今年に入ってから電車に乗った回数は「ゼロ」回で,最寄りの駅まで歩くこともなく,運動不足が目下の課題だったのですが,「ウォーキング」とまでいかなくても,歩くようになりました。

これは非常に重大な事件で,私は「100m先にあるコンビニに歩いて行くのも嫌だから買いだめする」ような人間なので,(30分とか黙々と)歩くようになったのは,私の中で割と大きな変化だったりします。



さて。



当ブログの読者の皆様におかれましては,最近のプライベートな話をされたところでなんの興味もないでしょう。



だいたいこんな「私,最近こんな感じです!」みたいなよくあるブログを書いても,私の文才が絶望的についてこないので,読む価値を生み出すことはできません。

そもそもこのブログにあまり存在意義はありません。

それでも,ふと思ったことがあったので,備忘録も兼ねて書きしたためておきます。



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昨日のことなんですが,深夜12時頃,家の近所を黙々と歩いている際,気がつきました。


「あれ?おれ,うまく身体が使えなくなってる。」


これは「歳で」とか「体調が悪い」とかの類の話ではなく,本当に字の通り,身体がうまく使えなくなっているのです。

私自身サッカーの才能はありませんでしたが,私は指導者に恵まれました。

一番最初に出会った指導者は,「サッカーがうまくなること」ではなく,「自分の身体が自分の思う通りに動かせること」を教えてくれました(その後も,優秀な指導者は口を揃えて身体の使い方を教えてくれました。)。

例えば,みなさん,ちょっと椅子から立って,鏡の前で「気をつけ」をして見てください。

目を閉じて,両手を横に,地面に水平にして見てください。

目を開けてください。

絶対に両手は水平になっていないと思います。

わずかに手が上がっていたり,下がっていたり。個人差はありますが,「手を地面に水平にすること」は,自分の身体の感覚がわかっていないと絶対にできないんです。

なお,この例は,テレビで武井壮さんが全く同じことを言っていてびっくりしました(武井壮さんのパクリではありません。念のため。ていうか武井壮さんって運動神経おかしいよね。)。

同様に,「ももを水平に上げる」「腰を90度に折る」も,ほとんどの人ができません。

これは高校の時の指導者に言われて気が付いたんです。私はリフティングを千回以上(最長記録2時間半)できましたが,こんな簡単なこともできなかったのです。

これを少し難易度をあげると,重心移動の問題があります。

私はそれまで重心移動に全く気を使っていませんでしたが,高校の指導者は,「足の内側に力を入れること。特に足の親指を移動の軸に使うこと」と指導していました。

指導者曰く,「歩き方で(サッカーの)上手い下手がわかる」らしいです。

今回の記事は重心移動の話が主ではありませんし,文字にしてもわかりにくいので,足の親指と重心移動の関係を詳細に知りたい方は,「はじめの一歩」の幕之内一歩の練習箇所を読んでみてください。

いつも通り話が長くなって来たので,話を戻します。

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そんなこんなで深夜12時,私は,「足の親指に力がかかった歩き方をしていない!」と驚愕したんですね。

あれほど習得に時間を費やしたのに,ボールを蹴らなくなって,運動をしなくなって,おれはあの感覚を忘れてしまったのかと,呆然としました。

そこで,私は,昔を思い出しながら,黙々と国道脇の歩道を,足の親指を意識しながら歩き始めました。

5分くらい経ってからでしょうか。

うまく表現できないんですが,「あ,今,地面を『噛めた』な」という感覚が何度か生まれ始めました。

全くできないところから,少しずつ,地面を噛む感覚が蘇る。

小さい頃の,「できないことをできるようになる」というあの感覚が蘇る。

私は何か無性にワクワクして来て,何か,笑いが込み上げてくるような,高揚するような,なんとも言えない感覚になってきました。

そうだ。この「できないことをやる」感覚,「できないことができるようになる」感覚,これが楽しくて楽しくてサッカーをやっていたんだ。この感覚があったから,司法試験も耐えれたんだ。

そう思い出したら,自分の心の底から湧き出る感情を抑えきれなくなりました。


ここまで何を言っているのかわからない人がいるので,簡単に説明します。


30代後半のジャージ姿のおっさんが,深夜12時,国道の歩道をブツブツ何か言いながらニヤニヤして早歩きしている。


職務質問をかけない方がどうかしている。よかった,お巡りさんがいなくて。

なお,我に返ったのは,コンビニでカップラーメンを食べているガテン系のお兄さんと目があったとき,明らかに不審者を見る目を向けてくれたからです。


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最近,税務と簿記の勉強を始めました。

理由は特にないんですけど,知っておいた方がいいかな程度の動機です。

だけど,法律とは全く違う脳を使うようで,全くわかりません。

それがいいんです。それでいいんです。

大人になると,できることを一生懸命やろうとすることが多いんですけど,できないことをやろうとすることってなくなると思うんですよね。

当然,やらなければいけないことを一生懸命やるんですけど,それでも,今ここに,ここまでこうしてあるのは,今まで「できないことをできるようになる」の連続をこなしてきたということを忘れてはいけないと思うんです。

あの子供の頃の感覚を,あの子供の頃に感じた高揚感を,それに勝るものはないと言ってもいいと思うし,それを忘れたら,ただの大人になってしまう。

できないことがあってもいい。

ただ,それを「楽しい」と思える心の在り方でいたい。







以上,私の大切な友人へ。

2018年5月23日水曜日

どうやって女性を口説くか〜渡部弁護士の実体験に基づく考察〜

1日に2本記事を書くブロガーの鑑。渡部です。


前記事で,標題の内容の出前授業をやってしまったという話を書いたんですが,なんかその話を思い出したら懐かしくなったので,たまには私がワイフを愛しているという話を書こうかと思います。

こういう記事を書けば,たぶん主婦層をうまく取り込めると思います。



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こんにちは。渡部です。

まず,私は,生涯で一人の女性としか交際をしたことがありません。そうです。ワイフです。

まず,ワイフですが,ぼくが高校3年生のときに口説きました。

その後結婚するまで交際が断続的に続きます。

「断続的に」と言ったのは,結婚するまでの10年間で,2回中断期間があるためです。

ただ,中断期間もそんなに長くないので,ほぼ付き合いっぱなしだと考えてください。

なお,中断事由は,ぼくの気持ちが浮ついたことが理由です。


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あれは高校3年生の秋。

部活を引退し,文化祭の準備をしているときでした。

クラスメイトに可愛い子を発見し,恋をしました。



なお,そのクラスメイトとは,2年生のときからずっと同じクラスだったんですが,ぼくが認識したのはその文化祭の準備のときです。
そうです。ぼくは部活の時間にならないと学校に来ない,ちょっと変わった子だったので,クラスメイトのことをよく知らなかったんです。



ここから私の戦略が始まります。


第1フェーズ 自己分析

理屈っぽいぼくは,どうやったらお付き合いできるか考えました。

当時のぼくにあったものは次のとおり。
・端正なフェイス
・授業に出なくてもトップ3の成績を叩き出す容量の良さ
・「サッカー部」というネームバリュー

戦力は全く問題ないと判断しました。


ただ問題が一つありました。

ぼくは極度の人見知りであり,かつ,女性恐怖症だったということです(マジ)。

女性と目を合わせることすらできませんでした(ガチ)。

戦力は問題ないのですが,指揮官がいない。

そんな状況を打破するために次の作戦を立てました。



第2フェーズ 指揮官就任

ここで幸運だったのが,ぼくは友達が少ないのですが,親友が多いということです。

そこで,当時最も信頼していた親友に,このことを相談しました。

この親友Sは,性格(真面目),授業態度(全出席),社交性(友達多い),センス(おしゃれ。軽音部でベース担当)全ての面においてぼくと真逆の才能がありました。

この親友が恋のライバルになるのであるなら仕方ありませんが,そうでなければ貴重な戦力です。

相談したところ,女性の好みのタイプまでもがまるで違うことが発覚。

今後の作戦指揮監督は親友Sが行うことになりました。


第3フェーズ 人海戦術

で,指揮官Sと議論してたんですが,前提として,Sもぼくも女性経験がゼロということを忘れていました。

大誤算です。

これでは,ただのモテない男二人がサイゼリアでドリンクバーでだべっているだけです。

そこで,指揮官Sの人脈を使い,頼りになりそうなやつをかきあつめることにしました。






その結果,男だけ10人ぐらいが集まりました。





男の子10人がサイゼリアで一人の女性のことを真剣に話している映像を思い浮かべてください。これはただの犯罪予備軍弾です。

ある一人が言いました。

「女性の観点からの意見を聞きたい。」と。

そう言えば,ぼくは女性からどう見られているんだろう,たしかに女子目線の意見って聞いてみたい。もっと服とかに気を使った方がいいのかしら。

そんなことをぼくが考えていたら,みんなが勝手に女子に連絡を取り出しました。




女子も含めて20人ぐらいの組織になりました。




なお,この組織の中にはターゲットの親友の女子2名も含まれています。



そして何より重要なのが,こいつらはぼくを抜きにして議論を始めたということです。

サイゼリアの滞在時間はゆうに5時間に達しようとしています。

そのときになって初めて気が付きました。






ぼくの恋が,ぼくのプライバシー抜きにして,クラス行事になってる。





おかしい。これはおかしい。ぼくのクラスは30人ぐらいなのに,今3分の2ぐらいいる。クラス外のやつもいるけど,なんか公知の事実になりつつある。

ぼくはサイゼリアでずっとメロンソーダを飲んでいたんですけど,その間,ターゲットの趣味趣向,経歴,家族構成といったあらゆる情報が集約されました。

というか,正直,ぼくのクラスは仲が良いクラスではなかったのですが,ぼくの恋をいじることにより,今,クラスが一つに結束しようとしつつあります。

そんな流れを断ち切って本当に申し訳なかったんですが,ぼくは,勇気を出して,思っていたことを言いました。







「ねぇ,文化祭の準備は?」






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そんなこんなでうまくいきました。当然です。ここまで圧倒的な人海戦術と言う名のストーキングを行えば,失敗する方が難しいです。

みんなには本当に感謝しました。


結婚式には,当時の担任の先生にも来てもらって,乾杯のスピーチをしてもらいました。


「先ほど,新婦の友人から,文化祭の準備期間に何かやっていたと聞きました。担任としては,学校行事をそっちのけでそんなことをしていたのかと思い,あとで新郎を問い詰めようと思います。」と言って笑いをとっていましたが,全然学校来ないぼくを卒業させたのはこの人なので,何今更教員ぶってんだ,とあとで笑って叩いておきました(実話)。


というわけで,女性を口説くためには,周囲の人間に任せるのが一番です。自分で何かやろうと思うと失敗します。







という話をとある高校でしました。大好評でした。

おしまい。

出前授業と司法試験

司法試験お疲れ様でした!渡部です。


受験生の方は地獄のような思いをされたと思いますけど,はっきり言って弁護士になってからの職責の重さの方がよっぽど地獄なので集中を切らさず勉学に励むと吉です。

ぼくは試験日の翌日,択一の答え合わせを自分でやっていたりしました。



さて,ぼくはロースクールで教えていないので,正直司法試験のことはどうでもいいんですが,新年度になり,今年もチラホラ出前授業の依頼をいただくようになりました。

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☆出前授業とは?☆

説明しよう!出前授業とは,応募先の団体(学校が多いです。)様に,弁護士を派遣し,「授業」を行うものである!
授業の内容は法律に絡めてしまえば事実上なんでもオーケーに近いザルみたいな審査しかないので,身近な法律問題の話からスポット授業(憲法に関してとか)まで,ご要望に応じて適当な話を弁護士がしに行くよ!

当会の場合は,以下のURLから簡単に申し込めるんだ。費用も1万円程度が目安だから,気軽に申し込んでね!別に1万円以上払ってもいいよ!
(神奈川県弁護士会の出前授業のページ)
http://www.kanaben.or.jp/profile/system/demae/index.html

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で,この出前授業なんですけど,学校様のご要望に応じて,それに適した弁護士を配点します(当会の場合,法教育委員会という弁護士100名以上で構成されている組織があり,その中から経験や知識をもとに講師を厳選します。ぼくも所属しており,一緒に活動していますが,法教育委員会本会を2年間ぐらいサボり続けています。)。

ところが,ホームページ上はそんなシステムになっていないと思うんですけど,ここ数年,特定の学校が,ぼくを指名して申し込んできます。

指名制度とかあるのか知らないんですけど,なんやかんやで結局ぼくが行くことになるのが毎年恒例行事となりつつあります。

今日は,ついに,当会を通じず,ダイレクトにぼくの事務所に講師依頼メールがきました。

ちなみになぜ毎年ぼくに指名が来るかというと,ぼくの話が生徒受けするかららしいです。

だいたい授業内容は「弁護士の業務について」とかが多いんですけど,(ぼく自体が学生時代そうだったので,)学生さんは堅苦しい話が嫌いだと思って,9割漫談,1割仕事の愚痴を言って帰るんですが,それが好評みたいです。




ここまで書いていて気がついたんですが,当会の代表として出前授業に伺っているにも関わらず,9割漫談を話している事実をウェブに載せると,間違いなく当会法教育委員会にこの事実がバレると思いました。

大丈夫,おれは法教育委員会の委員長と仲良しだから(震え声で




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さて。

そんなこんなで,よく,「弁護士業務について1時間で説明して」というミッションをこなすわけなんですけど,これがなかなか難しいんです。

何が難しいかというと,弁護士業務というのは多岐に渡りすぎて,説明しきれないんです。

弁護士という資格を持つと,「やれること」が多くなりすぎて,自然,その人がやりたいことをやるようになる,ということになりがちです。

例えばぼくの同期でも,大きな事務所に入って企業のサポートをしている人から,刑事弁護に熱を入れて無罪を何件も取っている(普通の弁護士は一生に一回無罪判決を取ればすごい)人もいるし,ぼくみたいに「町弁」としてなんでもやる人もいます。

ぼくは企業法務をほぼやらないので,企業法務の面白さを学生さんに伝えられないし,刑事事件も上手にできている自信はない(精一杯やることは前提ですが。)。

唯一,同期の中では特殊な経験をしているかな,という分野が「管財事件」なんですが,「管財事件」というのは一般の方に馴染みがなく,かつ,説明が非常にめんどくさいため,あまり授業で取り上げたことはありません。


要するに,ぼくが弁護士業務を語ったところで,それはぼく個人の狭い主観の話であり,弁護士業務は,もっと自由で,ぼくも知らない大きな世界だから,それをわかってほしいんだけど,それは抽象的で夢物語みたいに聞こえてしまい,伝えるのが難しいのです。

真実,大きな世界なのに。

あ,ちなみにぼくの同期で思い出したんですけど,ある同期が,今仕事で,東京にビルを作っているみたいです。



流石にここまで来るとぼくも意味がわかりません(いったいどういうことなんだろう。)。



で,冒頭の司法試験の話にも絡むんですが,司法試験という受難をクリアーした後,せっかく弁護士になったものの,数多ある分野から自分の得意分野を模索するという永遠に終わらない自分探しの旅を続けることになるので,合格した方は覚悟してください。

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なお,残念な結果になったとしても,私の同期の様子から鑑みるに,さらに大きな世界に羽ばたいているので,たぶん,法曹の世界に飛び込まなかった方の方が幅のある楽しい人生を送れると思います(断言)。



司法試験なんかで人生左右されないんだよ。絶対。



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なんの話ししてたんだっけ。

あぁ,出前授業の話か。




こんなことを毎回講師依頼を受けるたびに考えており,「うん。伝えきれない。無理。」と思って,去年は「どうやって女性を口説くか〜渡部弁護士の実体験に基づく考察〜」というものをやってみたんですが,意外と好評でした。




しまった。これもワールドワイドウェブに載せてしまった。法教育委員会が見る。




よし。この話でもするか。


2018年5月8日火曜日

鼓舞

約半年間,ブログのトップページが痔の話題のまま放置。渡部です。


今年に入りまして,大変困難そうな事件を受任したり,本当に職場と家の往復をするだけの半年間でした。プライベートほぼなし。

で,今日,後輩の弁護士から,「先生の痔のブログ面白いですよ」とお褒めの言葉をいただいたんですけど,


これは痔のブログじゃない。弁護士の業務ブログだ。


まずい。ブログ更新しなきゃ。そういうわけです。




で,いきなり話は変わるんですけど,私,弁護士になって10年らしいです(なんか10周年を同期で祝う会のお誘いがきました。私は人見知りなので既読スルーしました。)。

キャリア10年というのはなかなか一般の方からするとイメージが湧きにくいと思うのですが,もう「若手」ではなく,「中堅」と呼ばれるらしいです。

それでもイメージが湧きにくいと思うので,お笑い芸人さんでいうと,ぼくの同期はパンサー,日本エレキテル連合といったところのようです。イメージできたでしょうか。

ちなみに当会の会長クラスとなると,だいたい30年選手になります。お笑い芸人さんだと雨上がり決死隊,さまぁ〜ずなどです。イメージできたでしょうか。

10年選手の弁護士というのは,お笑い芸人だと「まだキー局の冠番組をもてない」,その程度だということです。なんだ,全然じゃないか。



ただ,飽きっぽいぼくが10年も同じ仕事を続けさせていただけているのは,周囲の方々の理解とご協力とご依頼あってのことなので,本当に恐縮です。

ぼくはきっと,生まれ変わっても同じ弁護士という仕事を選b




嘘です。選ぶわけありません。



楽な仕事がないということは重々承知しております。しかし,例えば自分の子供に同じ仕事に就かせたいかというと全くこれっぽっちも思いません。

・人様の人生をダイレクトに左右するプレッシャーにメンタルがやられる。
・日々経費との格闘。
・仕事の99%はパソコンに向かって起案。
・華々しさは皆無。
・会務という名のボランティア。

自分で選んでおいてなんですが,お金を稼ぐなら他に方法があったはずです。

というわけで,仕事が一区切りついたので,「弁護士になってなかったらどんな仕事がしたいか」という小学生のような現実逃避をこれからしようと思います。


ただし,ただあれこれ想像するだけではつまらないので,私の属性等から,あり得る選択肢をできるだけ理論的に抽出しようと思います。

①素養

まず,肉体労働は無理です。

学生時代サッカーをやっていたのですが,どんだけ筋トレしても170センチ56キロ(体脂肪率2%)を超えることはなく,体を使った仕事はダメです。
よって,
・スポーツ選手
・腕っ節が必要なガテン系お仕事
これらは真っ先に除外されます。素質がありません。

では,頭脳労働はどうでしょうか。

残念ながら頭脳労働は無理です。

そもそもぼくはまともに学校に行っていなかったのですが,理由は「勉強が嫌い」だからです。
司法試験に受かったのは運です。
よって,頭脳労働による対価をもらえる仕事は除外されます。素質がありません。



これらの考察からすると,ぼくは「肉体を動かすことなく,頭も使わない」で対価を得る方法を考えなければなりません。


②本人の希望

先に素養の方から話してしまいましたが,本人の意向というものも重要です。

「好きこそ物の上手なれ」という言葉があります。ある程度素養で劣っていても,それに勝る情熱があればそれなりになんとかなるはずです。

また,私が尊敬する検事が言いました。「職業が人を作る」と。仕事の向き不向きを自分で決めつけないで,一度決めて続けていれば,それなりの人間になるはずです。

そこで,私が好きなものを箇条書きにしてみました。
・サッカー
・将棋
・ゲーム
・寿司
・文章を書く
・女性

これを客観的に見てみます。
・サッカー(全国レベルってすごい。無理だわ。)
・将棋(将棋ウォーズ2級。)
・ゲーム(対人でウイニングイレブンで勝ったことなし。)
・寿司(美味しい。)
・文章を書く(何も考えないでブログが書ける。)
・女性(弁護士という肩書きを得てもモテないものはモテないことが実証された。


この中で唯一,「文章を書く」だけ光明が見えました。ではこれで対価を得ることができるのでしょうか。

③検証

結論から言えば,無理です。

実は,もうずいぶん前の話ですが,とある編集の方から,このブログを書籍化しないかというお話を頂いたことがありました(衝撃)。

編集「とても弁護士の先生が書いたように思えないし,読み物として面白いと思うんです。」
ぼく「ほう。わざわざ自分の恥部を書籍という物質に変えようという話ですか。正気ですか。」
編集「ただ,記事数が絶対的に足りないです。もっと更新してください。」
ぼく「どれくらい?」
編集「週に1度くらい更新していけば,(この)話に現実味がでます。」


無理だよ。痔の話で半年放置しているぐらいだもん。

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新年度が始まり,就職活動や新しい環境に飛び込んだ方も多いと思います。

少しだけ,真面目な話をさせていただきます。読み飛ばしてくださって構いません。ブログのオチはもう終わったので。

私が弁護士になった動機はいろいろあるのですが,弁護士を「続けている」理由は一つだけです。

ある人に評価してもらいたい。

それだけです。

ただ難しいことに,その「ある人」から,直接褒めてもらうことはもうありません。

ただひたすら,自分が正しいということをやり続けなければならないということだけは理解しています。

私の場合,たまたまそれが弁護士という仕事を得ることができたので,ただひたすらその評価を欲しくて(実際にはもうこの耳で聞けないんだけど),仕事を続けています。

評価してもらえてしかるべき場所まで到達できたかというと,10年経っても全然ダメだな,と自分で思います。

ただ,不思議なもので,そうやって生活していると,慕ってくれる同業者の方ができたり,頼ってくれる昔の友達が現れたり,妻ができたりするもんです。

自分では納得できていませんが,そういう人たちは大切にしたいなと思っています。

「職業が人を作る」とK検事は言ってくれましたが,果たして私は少しは弁護士らしい人間になれているのでしょうか。

10年ぐらいでは,まだ迷ってばかりです。

私は仕事を続けることそれ自体は大したことではないと思っています。

ただ,自分で決めた「何か」がブレないでいることは,ちょっとだけ誇らしいし,「ある人」に唯一褒められたところなので,この先,同じ仕事を続けるにしても,別の仕事を始めるにしても,ブレることだけはないようにしたいと思っています。

司法試験も,就職活動も,迷うことだらけでしょうが,実はそれ自体は人生で大きな意味を持たないと思っています。

どれだけブレないか,また,ブレたときに気がつけるかが,私はとても大事だと思っています。

私はそれを,この10年,お客様から教わりました。

いろいろな方の事件を受任しましたが,皆さんをみていて,そう思えました。

何が大切なのか,私もときどきわからなくなるときがありますが,そうしたら目を閉じて「ある人」に聞くようにしています。

必ず,答えを一つだけくれます。

さぁ,仕事でもしましょうか。明日も訴訟提起です。負ける気は,しません。

2018年1月7日日曜日

前回の続き(但し痔の話とはちょっと違う)

前回記事の続きです。渡部です。


実は,前回の記事は,あらかじめ「続編」を想定して書いていたので,その続編をどのタイミングで投下するか見計らっていたのですが,諸事情を総合的に考慮し,本日,続編を投稿することとしました。

その理由は読んでいただくとわかるシステムになっておりますが,たいした理由ではありません。

では,スタート。

〜〜〜前回のあらすじ〜〜〜

いぼ痔があり得ないぐらい痛くなったので手術した。

〜〜〜〜〜以 上〜〜〜〜〜


【告知編】

時は前回記事の【DAY 9】に遡ります。
そうです。いぼ痔の手術中のことでした。

先生「よし,いぼ痔を切開できた。」

ぼく「お見事!(麻酔が効いているため全く痛く無い。この後麻酔が切れて地獄を見る。)」

先生「うーん,これ,一応検査に回しておきますね。」

ぼく「検査?」

先生「うん。」

一体何の検査なのかわかりませんでしたが,麻酔が効いている上に宿敵いぼ痔が身体からなくなった達成感,平日の昼間にも関わらず下半身を解放して手術台に寝そべっている開放感から,その時は何も思いませんでした。



ただ,いぼ痔の手術をしたことがある方はわかると思うのですが,たかがいぼ痔,されどいぼ痔,「手術」をしているので,術後の経過を見るために通院を続けなければなりません。週に1度のペースで通院していました。

基本的に肛門科の素晴らしさに気がついたぼくは,むしろ肛門科に通うのが楽しくなっており,持ち前の人懐っこさを活かした営業能力を無駄に肛門科で発揮し,お尻丸出しにしながら看護師さんの法律相談に乗っていたりしました(職業は手術時にバレている。)。


あれは三度目の通院だったので,術後三週間前後のことです。

先生(もはやマブダチ)がいつもと少し違う,難しそうな顔をしていました。


先生「わたべさん,手術の時,切除した痔を検査機関に回したの覚えている?」

ぼく「そんなことあったかもしれません。」

先生「その結果が検査機関から届いたんだよ。」

ぼく「ふむ(何か嫌な予感。)」

先生「検査結果がこの紙に書いてあるんだけどね,難しいからわかりやすく説明するね。まずね,(以下略)」

ぼく「何言ってるか全然わかりません(清々しいまでの態度)。」

先生「じゃあもっとかいつまんで言うね。わたべさんは,今回の痔になる前に,ずっと長い間,痔,ないし炎症を肛門内で起こしていた可能性があったの。それが今回レベルⅢまで育っちゃったのね。」

ぼく「そこまではわかった。」

先生「でね,炎症を起こすと,炎症を治すために,細胞は一度死んですぐ新しく再生しようとするの。細胞は,「死んで,再生して」のサイクルが元々あるんだけど,炎症がずっと続いていると,そのサイクルが細胞の寿命と関係なしに早いスピードで行われるのね。」

ぼく「なるほど。」

先生「そこで,ようするに「細胞の上書き」が行われるわけだけど,再生サイクルが頻繁に行われると,うまく「細胞の上書き」ができないときがあるの。」

ぼく「そうなの?」

先生「そうなの。」

ぼく「つまりあれですか,Excelでセルのリンクを複雑にしすぎて上書き保存した時に,何かの拍子で上書き時にリンクがうまく更新されなくてオートSUMが正常に作動しなくなって,合計値が合わなくなって必死に電卓叩く例のあれですか(Excelあるある)。」

先生「イメージとしてはそれ。でね,検査機関の結果によると,おそらくその「細胞の上書き」がどこかでミスが生じたようで,わたべさんのいぼ痔から,『異形のDNA』が検出されたの。」

ぼく「先生,ぼくは職業柄か,なんとなく相手の言わんとすることを理解しようとする性がありますが,はっきり言ってもらって構わないです。それは,癌の可能性がある,ということですか?」

先生「(一呼吸おいてから)そういうことです。」



癌?




ぼく自身は,この先生はとても良い先生だと思っておりまして,文字におこすと淡白な感じがしますが,ぼくの心情面を最大限配慮しながら話してくれたと思っています。
先生の話をまとめると次のような感じでした。

・いぼ痔から『異形のDNA』が検出された。
・『異形のDNA』は細胞の上書きが頻繁に起こると生じる場合がある。
・おそらく,長年便通の際に肛門に負荷をかけていたため,炎症が慢性化しており,時期は不明であるものの,その際に細胞の上書きミスが生じた可能性が高い。
・肛門付近の癌は,医学上大腸癌とは呼ばない。おそらく癌だとすると扁平上皮癌(へんぺいじょうひがん)。
・切除したいぼ痔以外の細胞を調べる必要がある。そのため,大腸カメラをする必要がある。



さぁここまで小難しい話をしてきましたが,癌(あくまで可能性)と言われたその瞬間のぼくの気持ちはどういうものだったのでしょうか?ショック?悲しみ?諦め?焦り?このブログのスタンスでもありますが,嘘偽りなく書きます。






「最上の被験体(ネタ)を手に入れた(ガチ)」





私は一昨年,義父を癌で亡くしていますが,とても悲しかったです。悲しいと言う言葉でおさまらない感情でした。

他方,今回は他人ではなく自分自身が被験体であるため,周りの人がどうだか知りませんが私自身が悲しむことはありません。

痛いかもとか,手術かもとか,そういうネガティブな考えよりもまず先に,「未体験ゾーン突入」という高揚感が圧倒的に勝ってしまいました。

よく考えてください。先生は「便通による炎症が蔓延化したため細胞の上書きミスが生じた」と説明していますが,これをぼくが理解できる日本語に訳すとこうなります。


「う◯このし過ぎで癌になる。」


そうです。先生はオブラートに包んでくれていますが,要はうんこをし過ぎて肛門を酷使したために異形のDNAが出てきてしまったのです。万が一ぼくが死んだら死因は「扁平上皮癌」かもしれませんが,ぼくのお葬式で,地元の友達は口を揃えてこう言うでしょう。


「源はう◯こをし過ぎて死んだ。」


ぼくらしい死に方だ。人生のオチとして美しすぎる。



このため,告知らしきものを受けても全く悲観することがなく,むしろどうネタにするのか考えながら事務所に帰りました。
しかし調べてないけど,扁平上皮癌というのは,癌という以上,これで亡くなられている方もいるだろう。
ましてや自分はまだ癌と確定したわけでも無い。
ネタにするのは不謹慎かもしれない。
でも,こういうことを知らないで放置して手遅れになる人がいてはならない。
ただ,不確定情報をブログに晒すことはできない。
でも書きたい。
誰かに言いたい。
どうしよう。どうしよう。
よし。現在までに確定している情報をブログにするのは別にいいんじゃないか?
癌と確定していないのであるならば,癌という事実を除いて書けば嘘にはならないんじゃないか?
いぼ痔から癌が見つかるなら,今,いぼ痔で悩んでいる人がすぐ肛門科に行って,本当の意味で手遅れにならないような記事を書くこと自体はいいのではないか?

こう考えて行動に移したのが平成29年11月22日21時45分です。




そうです。前回の投稿はこの告知を受けた日に書きました。




〜〜〜〜〜余談〜〜〜〜〜〜

割と冷静に受け止められたと思っていますが,それは再三申し上げている通り,義父の存在が大きかったと思います。
20年以上に渡る癌との闘病生活で,最後の方は喋ることもできず,それでもぼくに最期まで笑顔を見せていた義父は,ぼくの心の中で「士」であり,「こうありたい。」「義父の癌に比べれば,可能性の告知で動揺するわけにはいかない。」と心を保てたのだと思っています。
また,かなり早期に異形物が見つかったので,致死率もそんなに高く無いだろう,高かったらもっと医者も気を使った告知をするだろうと思っていたのだと思います。
私は自分のことを笑いに変えたい性格ではありますが,この病気で苦しんでいる方も多くいらっしゃると思いますし,ぼく以上に心のあり方で悩んでいると方が大勢いると思っています。
その人たちの何万分の1の出来事を体験した今だから改めて思いますが,ぼくはその人たちを心の底から尊敬します。

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【告知の告知編】

さて。

そんな突拍子もないことを先生から言われたぼくですが,動揺するよりも,悲しむよりも,ネタとしてどう扱うか考えるよりも,先にしなければならないことがあります。

仕事です。

仕事には絶対に支障をきたしてはいけません。ちょうど年末に差し掛かった時期でしたが,身体自体は元気そのもの。通院の関係と期日の関係はうまくスケジュール調整できました。

但し,先生から注意事項が出ました。
①三食バランスの良い食事をとる(1日一食しか食べてなかった。)。
②必ず決められた通りの投薬する。
③コーヒー等はダメ。
④タバコ厳禁。

先生には,④以外は全て守ることを誓い,家路につきました。(私は1日80本のタバコを吸う人でしたが,40本に減らすから許してくださいと言いました。先生は許してくれませんでしたが,現代医学の力はタバコに負けないことを信じました。)

ただ,食事制限が出ている以上,配偶者の協力は絶対に必要です。妻には言っておく必要がありました。
但し注意事項として,義父,つまり妻の実父は一昨年癌で亡くなっております。「癌」というワード自体妻は敏感になるでしょうから,そこはうまいこと,妻のショックを和らげなければなりません。


(妻編)

ぼく「ただいま。」

つま「おかえり。」

ぼく「あのさ,「かもしれない運転」って大事だよね。」

つま「車を運転するときの?」

ぼく「そう。「あの角から子供が飛び出してくるかもしれない運転」,「前の車がウィンカーつけずに左折するかもしれない運転」とか。」

つま「大事よ。源ちゃん普段車通勤しているから気をつけないと。」

ぼく「今日,先生のところに言ったら言われました。」

つま「なんて?」

ぼく「癌かもしれない。





大失敗でした。




やばい泣いてる喚いてる,うわー,タバコをどうたらとか言い出した,うんうん,癌じゃ無いの。癌「かもしれない」状態なの。そんなおおごとじゃ無いの。

とりあえず妻を落ち着かせました。

身体自体はぴんぴんしていること。

おれ自身の心は保てていること。

仕事には今の所支障が出ないようになっていること。

まずは大腸カメラをしてみないとわからないこと。

わからないことを考えても仕方のないこと。

まだ一歳にもなっていない子供もいるんだし,今やるべきことをしなきゃいけないこと。

ちなみにおれは生命保険をマックスまでかけているから死亡保険金4000万円が出ること。

さすが弁護士の妻です。落ち着きました。特に保険金の話をしたときの妻の表情が印象的でした。


(元ボス編)

ところでぼくは弁護士会のとあるプロジェクトチームに所属して,一応副座長という役職を与えられております。

このチームの業務だけは,ぼく個人のスケジュール調整でクリアできない上に,下手に役職があるため,ぼくがいないとうまく回らない可能性があるプロジェクトです。

手術の可能性もあり,チームの業務に支障が出る可能性があるため,トップ,座長である元上司の弁護士に話に行くことにしました。

ぼく「すいません,ちょっと(二人だけで)いいですか?」

元ボス「どうした?」

普段ふざけた話しかしない間柄ですが,こんな切り出し方はぼくが「独立します」と言い出したとき以来だったので,元ボスも身構えていました。
しかしぼくは前日,妻に伝える際にした失敗を糧にする能力があります。大丈夫。今度はうまく行く。

ぼく「(二人っきりになって)これから話すことは,あくまで『たいしたことない話』だということを認識してください。何を話しても『たいしたことない話』,です。」

元ボス「わかった。」

ぼく「ぼくは癌かもしれません。原因はうんこのし過ぎです。」

元ボス「(いろんな意味で)どういうことだ。」


今,文字におこしてみたら,確かにこれで伝わると思う方がどうかしています。

意外にも(失礼)元ボスはすごく心配してくれて,あれこれ症状やら生活やら心配してくれました。

元ボス「癌は家系によるとか言われるしなぁ・・・」

ぼく「なるほど。」

プロジェクトチームの業務に支障が出ないようにしたぼくは,早速自分が癌家系かどうか確かめることにしました。




(お母さん編)

「ただいま電話に出ることができません。ピーっと鳴ったら・・・」

電話に出ないのでめんどくさいから伝えるの端折りました。


たぶん,ぼくのお母さんは,このブログでぼくの状況を知ることになると思います。




【大腸カメラ編】

いよいよ大腸カメラの日がやってきました。

大腸カメラはほぼ丸一日使います。

午前:下剤を飲んで腸をカラにする。
昼過ぎ:30分ほど大腸カメラ検査。
午後:2時間ほど安静にした後帰宅。帰宅後も安静。

ていう感じです。

朝9時に病院に来るよう指示されていたぼくは,見事9時15分に病院に到着。

看護師さんからモビプレップという下剤を飲むよう指示されました。

このモビプレップが厄介で,飲み方があります。
・モビプレップは全部で2リットル。
・まず,200ミリリットルを10分〜15分かけてゆっくり飲み,それを5回繰り返す(合計1リットル)。
・次に,水200ミリリットルを10分〜15分かけてゆっくり飲み,それを3回繰り返す(合計600ミリリットル)。
・さらに,モビプレップを200ミリリットル10分〜15分かけてゆっくり飲みそれを5回繰り返す(モビプレップ第2ターン)。
・最後に水200ミリリットルを10〜15分かけて3回以上繰り返す(水第2ターン)。

で,このモビプレップが,なんというか,絶妙なまずさなんです。

飲めなくはない。だが決して美味しくはない。できれば飲みたくない。ぼくが大人じゃなかったら駄々こねて絶対に飲まない。だがぼくは大人なので我慢して飲まなきゃいけない。このまま大人になんてなりたくない。ネバーランドで過ごしたい。

だが男にはやらねばならない時がある。

このモビプレップを飲むと便意が来るんですが,便が最終的に透明の水だけになるまで飲み続けます。

逆に言えば,便がカスもなく透明にするのが目的なので,そこまでいけばモビプレップを全部飲み干す必要はないというメリットがモビプレップにはあります。

ちなみにぼくがそれを知ったのはモビプレップを1.8リットル飲み干した後で,便はとっくに透明になっていました。

ぼく「ここまできたら全部飲みたい(使命感)。」

看護師「ダメです。」

モビプレップをせがんできた患者さんは初めてだそうです。



そしていよいよカメラを肛門から入れて腸の中を見るわけですが,ぼくには不安がありました。


ぼく「すいません,トイレ行っていいですか?」

看護師「また行くんですか?もうカメラ始められますよ?」

ぼく「だって,カメラ入っている状態でうんちしたくなったら,ぼくはカメラごと噴出する自信があります。」

看護師「大丈夫です。もう先生来るから始めましょう。」

ぼく「ひどい。」

看護師「大丈夫なんです。カメラの先に,便とかを吸引する掃除機みたいなのがついていて,便を吸いながらカメラが入って行くんです。だからカメラの最中に便が出ることは絶対にありません。


なんということでしょう。

単に腸内を見るだけならカメラ機能だけで十分なはず。しかし匠は利用者の目線に立って粋な吸引機能までつけてくれたのです。費用も当初の予算の範囲内。匠の心配りが見て取れます。(劇的ビフォーアフターの音楽を脳内で流してください。)


先生「あれ?」

ぼく「なに?」

先生「わたべさん,腸の中,すごく綺麗だね。」

ぼく「ぼく,他人から『綺麗』って言われたの初めてです。」

先生「うん。すっごく綺麗。心配していた肛門付近も,腫瘍みたいなものはないね。ほら,スクリーン見てくれない?ここ,たぶんいぼ痔の手術痕だけど,この辺の細胞,2箇所ぐらいもらっていい?」

ぼく「どうぞ。」

先生「あ,ここももう一個もらっていい?」

ぼく「好きなだけどうぞ。」




【まとめ】

というわけで,「お前のいぼ痔,癌かもしれない」と言われたものの,どうやら大丈夫そうです。

いぼ痔に異形のDNAがあったこと自体は事実ですが,他に転移しているか可能性は極めて低いそうです。

はっきり可能性として「ない」と言われるまでこのブログは更新しないつもりだったのですが,

ぼく「癌じゃないと断定していいですか?」

先生「一年後また来て。

うん,そんなに待てない。

というわけで,ブログを更新することにしました。



このブログの性質上,ネタっぽく書いていますが,癌の闘病生活それ自体は大変苦しいものだということを私は見てきています。
どのような境遇であれ,それと戦っている人間は尊敬しますし,それをサポートされている方の並並ならぬご苦労は目頭が熱くなるときがあります。
そこには他人から評価を得たいという人間の欲望ではなく,「生きるために戦う」という評価を求めない強さがあり,そのような強さを私は本当に尊敬します。
この投稿を見て,自分は全然健康だけど,ちょっとだけ病院に健康診断に行ってみようかなという方が一人でもいたならば,私がこの文章を書いた意味があったと思い,投稿する次第でございます。

弁護士の業務ブログとして書く内容ではないかもしれませんが,そのような目で読んでいただければ幸甚でございます。

長文を読んでいただき,誠にありがとうございました。



疲れた。

2017年11月22日水曜日

食事中の方,食事前の方,絶対に読まないでください。特にカレー,ダメ,絶対。

久しぶりの更新にそぐわない話をします。渡部です。

タイトルの通り,食事中の方はバックしてください。
今日は肛門の話をします。
とある理由でこの話をしますが,かなりリアルに書いているので,苦手な人は本当にブラウザバックしてください。
それでもいいと言う方のみ,下の方にスクロールしてください。





















































ようこそ。

【DAY 1】
ありえない量の血便が出ます。
それまで,何か排便しきれていない感じがしていたのですが,あまりの血の海にドン引きします。
だがこれは序章に過ぎなかった。



【DAY 4】
生まれて初めてボラギノールというものを使ってみました。
そして後にぼくは思いました。
ボラギノールが悪いんじゃない。ボラギノールが効かないほど症状が悪化していただけだったと。



【DAY 6】
「丸座布団」というものを購入。もう普通に座り仕事ができない。お尻が熱い。
だが後にぼくは思いました。
座布団を買ったところでぼくの病魔が治るわけがないことを。



【DAY 7】
午前中から仕事をしていたが,ついにお尻の熱さに発狂。
なんだこれは。普通に歩けない。座っていられない。かといって立ってもいられない。
自分の体に何らかの重大な異常があるのは認識しているのですが,ぼくの中の天使と悪魔が壮絶な戦いを繰り広げます。

天使「(テロリロリン♪)いい?あなたは絶対に痔よ。もう病院に行った方がいいわ。」

悪魔「(デロデロデロ♪)へっへっへ。病院だと?行くとしたら肛門科だぜ。肛門科って,なんか恥ずかしいイメージないか?お前は他人にケツの穴を見せる気か?」

天使「(テロリロリン♪)あなたはいつも,お客様に,「弁護士事務所の敷居は決して高くない,早期問題の発見が事案解決に結びつく」と偉そうにのたまっているでしょう?それがなに?こと自分のことになったら肛門科という敷居の高さに腰が引けるの?なんなの?バカなの?死ぬの?」

悪魔「(デロデロデロ♪)へっへっへ。いいかお前は今までろくに病院にかからず自己治癒力のみで生きてきたじゃないか。今回だって大丈夫さ。いいか,おれのいう通りに



うっさい,お前らどっか行け



理性ではなく本能で肛門科に即電話。即日診療してもらえることに。午後に予定がなかったため,肛門科に急行。

生まれて初めて肛門科(内科もやってる)に行ったわけですが,すごく綺麗です。
あと,なぜか女性の患者さんばかりでした。なんなの?女性は痔になりやすいの?
それと,今年はインフルエンザワクチンが不足していることもあってか,インフルエンザの予防接種受けに来ている人がいっぱいいました。

ただひとつ確実なことは,




待合室で一番緊急性が高いのはぼくだということです。



頼む,「予防」接種ということは,まだインフルエンザになっていないのだろう?だったらちょっとでいいから順番をおれに譲ってくれ。今ならお前の望む通りの離婚協議書をタダで作ってやる。すぐさま公正証書遺言の文案を作ってやる。だから頼むからおれに

看護師「わたべさーん。お待たせしました,どーぞー。」

ぼく「すいません。ちょっとすぐに立てないんで補助してください。


もう緊急性のあまり理性が飛んでいるぼく。初めて肛門科の先生(男性)とご対面。


先生「じゃあ触診しまーす。」


生まれて初めての触診でしたが,結論から言えば全然恥ずかしくありませんでした(重要)。うまくできているもんで,病院の雰囲気とか,先生や看護師さんの雰囲気とか,「逆になんでお前はケツを見せんのや?」というオーラでいっぱいで,ペロンとお尻を見せることができました。

触診自体も思ったほどではなく,「まぁ,こんなもんなんだろうなぁ」という程度のものです。今,痔でお悩みの方は,「恥ずかしい」「怖い」という理由で肛門科を避けるのは損だと思います。全然痛くないし,まぁ違和感はあるけど,全然許容できる範囲でした。




但しイボ痔を触られたときは除く。




叫びました。気づいたら「痛え!てめえやめろ!殺すぞ!」と害悪の告知を先生に言う始末。
あまりの絶叫ぶりに看護師2名に取り押さえられる36歳。



ぼく「さっきはすいませんでした。育ちの悪さがそのまま出ました。」

先生「それはいいんだけどね。わたべさんね,よくここまで痔を育てたね。」

ぼく「そうなの?」

先生「イボ痔ってね,4段階のレベルがあるの。数字が大きい方が重症ってことね。で,わたべさんはレベルⅲなのね。これはね,もうね,イボ痔が肛門の外に出て来てしまっているの。

司法試験に合格する知能を持っているはずのぼくでもこの日本語は俄かに理解できませんでした。

先生「基本的にはレベルⅲ以上は手術,つまり投薬治療は難しいから,メス入れてイボ痔切るしかないのね。とりあえず経過をみたいから,痛み止めとか薬出すんで,二日後来て。」



【DAY 9】
ぼく「先生。」

先生「なあに?」

ぼく「今日手術してください。これはあれだ,もうぼくは長くは持たない。

先生「でもね。手術する場合には,前日から下剤とか飲んでもらってとかあるし,今日の午後は大腸カメラの検査が他に入っているし・・・」

ぼく「(先生のスケジュール帳を指差しながら)でもこことここの合間に時間あるじゃないですか。

先生「術後は数時間ベッドで安静にしてほしいけど,その手術スケジュールだと安静にできる時間の確保が・・・」

ぼく「寝る。超寝る。帰りも車の運転しないことを誓う。だからお願い。ぼくこのままだと理性が飛んで,何をするか自分でもわからない。まだ生後10か月の子供を残していくわけには行かないんだ。頼む先生。おれのイボ痔を葬ってくれ。」(原文ママ)

先生「わかった。やりましょう!」

ぼくと先生の間に友情が芽生えた瞬間である。

① かんちょう

看護師「じゃあまずかんちょうしてお腹の中を全部出しちゃいます。」

ぼく「はい。」

看護師「本当は5分ぐらい排便を我慢してほしいんだけど,もうそれは無理なのね。だから,1分ぐらいを目処に我慢して排便してくれればいいから。これからかんちょうするけど,ゆっくりトイレまで連れて行くから,ゆっくり排便してね。」

ぼく「はい。かんちょうしてから時間はスタートですね(iPhoneのストップウォッチを起動)。」

看護師「じゃあかんちょうしまーす。(かんちょう実行)」

ぼく「(無言でストップウォッチを開始)」

看護師「じゃあわたべさん,ゆっくり排便してね。なにかあったらその呼び出しボタン押してね(ガラガラビシャ!)」

ぼく「(無言でストップウォッチを凝視)」

看護師「わたべさん?聞こえてる?」

ぼく「(無言でストップウォッチを凝視)」

看護師「わたべさん?1分が目処よ?5分って言ったのは気にしなくていいのよ?」

ぼく「(4分経過)」

看護師「わたべさん?わたべさーん!わたべさーん!(ドンドン!ドンドン!)

ぼく「あと30秒だから!」

看護師「わたべさーん!出しなさい!いいから出しなさい!わたべさーん!!」

これはリアルに行われたやり取りです。


② 尾骨麻酔

先生「じゃあね,尾骨麻酔します。うつ伏せになってね。これやるとね,足とかは動くけどお尻全然麻痺するから。」

ぼく「なんで?」

先生「麻酔を「尻尾」のところに打つとね,神経が集まっている肛門付近に足よりも早く麻酔が回るの。」

ぼく「なるほど。ちなみに痛いですか?」

先生「そうだね。午前中,「痛くする際には事前の告知」という約束をしたもんね。尾骨麻酔は正直痛いよ。ごめんね。」

ぼく「わかりました。どうぞ。」

先生「痛いでしょ?」

ぼく「?」

先生「痛くないの?」

ぼく「痛いけど,痔の方が痛くて気にならない!」

先生「うん,そんな嬉しそうに振り返らなくていいからね。おとなしくうつ伏せでいてね。」

(15分後)

先生「ちょっと肛門締めてみて。」

ぼく「えい!」

先生「よし,麻酔うまく効いてる。」

ぼく「あれ?先生,ぼく,肛門閉まってなくない?」

先生「ふふふ。それが尾骨麻酔というものさ。」


③ 手術

ぼく「・・・というわけで,今は西口に独立開業しているんですよ。」

先生「そうなんだ。わたべさん,弁護士さんなんだね。真面目なんだね。真面目だからかんちょうを5分も我慢するんだね。

ぼく「いや,そもそも真面目な生活送っている人はイボ痔にならないと思うんですよ。」

先生「あはは!なるほど!わたべさんおもしろいね!」

ちなみにこの会話はうつ伏せになったぼくの肛門を全開に広げて先生がイボ痔を切開しながら繰り広げられています。

手術中の痛みはゼロでした。(すごく重要)

助手の看護師さんは女性でしたが,肛門どころかもはやキン◯マまで見られているので,恥ずかしさは皆無でむしろ清々しく,なんか昔からの友人みたいに接することができました。

手術時間はだいたい1時間くらいです。

平日の午後,みんなが働いている中,下半身を解放し,うつ伏せになって,機械が奏でる自分の心拍音を聞くひととき。




弁護士という仕事についてから一番くつろいだひとときだったのかもしれません。



④ 術後(安静時間)

ぼく「せんせー!痛み止めをー!痛み止めをー!」

ぶっちゃけると麻酔が切れたときが一番きつかったです。

ここは難所ですが,ここを乗り切れば痛みは引く一方なので頑張ってください。


【TODAY】

そんなわけで,経過も良好。全然痛くない。ついに血便も止まった。

まだまだ経過観察中ですが,この経験を糧にこれからも強く生きていこうと思います。

今回の投稿は,痔の手術を行ったことを知った何人かの友人が,「詳細詳しく」「実は私も肛門科行こうと考えていますが踏み切れなくて」等のお便りを個人的にいただいたので,それなら全国の痔に悩んでいる方々のために,一つのケースとしてご紹介することにより,一人でも痔に悩む方が減ってくれればと思い書きました。

事実しか書いていないので,読む人を選ぶ文章になってしまい,そこは申し訳ないなと思っていますが,これは恥ずかしいことじゃない,むしろ大事なことなんだということで,ブログに書きました。





ただ,弁護士の業務ブログとして書く必要があったかはわかりません。

2017年8月15日火曜日

サッカー部の思い出

今日は昔話なのでタメになるお話0%です。渡部です。


最近,仕事の関係で,何故か「サッカー部時代どうだった?」という話になり,懐かしいのでここにしたためます。

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小学生からやっていたサッカーですが,私は中学卒業とともに辞めるつもりでした。
理由は弱小中学にもかかわらずスタメンとれないレベルだったからです。
高校は部活もせず,バイトでもして過ごそうと思っていたのです。

ところが,私が進学予定の高校は,「公立高校なのに監督がセルジオ越後と同じ釜の飯を食っていた(真偽のほどは不明)ぐらいすごい人で,公立高校なのに強い」という特殊な学校だったそうです。
当時,「学区」という概念が存在していたのですが,学区外からわざわざサッカーをするためにうちの高校に入る方もいらっしゃいました。

公立高校のため,スカウトとかはとてもできません。
そのため,監督から,在校生に対し,「入学予定者でサッカー経験者,かつ,見込みのある奴は,入学前の春休みの練習から参加させろ」という通達が出ていたようです。
ぼくの中学からはぼくとKが入学予定かつサッカー部ですから,先輩から上記通達が来ました。

K「源どうする?いきなり練習とか,緊張するから,できればお前と行きたいんだけど」
僕「あぁ,おれは高校でサッカーするつもりないから。」
K「マジかよ!やろうよ!」
僕「何より重要なのが,あの先輩,お前には通達しているけどおれのところにはとんと連絡がないということだ。
K「いやいや!『源も一緒に連れてこい』って言ってたから!お願いだから拗ねないで!」

そのような折,当時僕が好きだった子が,その高校の隣の高校に進学するという情報が入ってきました。

高校のサッカー部に入る。→当然練習試合とかする。→練習試合はきっと近隣の高校とすることがあるだろう。→その子の高校にも練習試合で行くかもしれない。→そうしたらたまたまその子が観戦しているかもしれない。→そのときの活躍によっては,恋が始まるかもしれない。

のちに弁護士になるほど聡明な頭脳を持っていた僕は,この仮説を10秒で構築。すぐに近くの公衆電話(時代を感じる)でKの自宅に架電。

僕「練習参加するぞ。」
K「おぉ!そうか!いつ行く?」
僕「明日にでも行こう。」

このように入学前の春休みから練習に参加が始まりました。
そして重要なことなので付言しますが,僕の好きな子の高校とは一度も試合をせず3年間が終わりました。

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入部してまず思ったのが,今までの僕のレベルからは桁違いでした。
たしか,1年生の選手権予選のときに初めて背番号をもらいましたが,到底試合に出れるわけもなく,チーム自体はベスト16まで進出。スタメンの先輩2名が県ベストイレブンに選出されていました。

当時の神奈川県予選は桐蔭,桐光学園,日大藤沢などの私立が上位にひしめきあい,公立高校で割って入れるのは弥栄,逗葉(僕が2年生の時,逗葉は神奈川を制し,全国ベスト16)など限られた高校で,ベスト16のうち,12〜13ぐらいは常連で占めていて,残りの枠を他の高校が狙う,という状況でした。

で,割とうちの高校はそこに割って入れる実力があったので,全国的には全くの無名でしたが,県下ではそれなりに名が通っていたと思います。

入部者も,最初は30人ぐらい参加しますが,夏までに一気に20人ぐらいまで減ります。僕の同期もそんな感じでしたが,3年生の最後の大会では,8人まで減っていました(忘れている奴いたらごめん。)。

ただここが高校部活ならではのドラマなのですが,辞める奴も,様々な理由で辞めます。
「練習が辛いから」という理由で辞めるのはむしろレアで,かなりの確率で自分の限界を知って,辞める奴が大半でした。
おれらからしたら絶対スタメン争い残れるのに,受験勉強との兼ね合いとか,日々のスタメン争いのストレスとか,後輩の台頭とか,様々な理由が複雑に絡み合って,決断します。
無論,そのような申し出をした場合,部員(特に同期)全員で止めます。それこそ1時間とか2時間とかとことん全員で話合ったりもしました。
最終的には本人の意思を尊重し,辞めて行くのですが,おれらからすると戦友で,ただ向こうからすると「途中で辞めた負い目」みたいなのがあって,廊下で会った時とか寂しい顔をしながら「最近部活はどう?」とか聞かれると,今でも目に涙がたまります。
少なくとも,僕の同期で,「練習が辛いから」という理由で辞めた奴は一人もいませんでした。

さてここで問題です。

弱小中学でレギュラーも取れずに,しかも邪な動機でこの部に入部した僕は,3年間,どのように生き残ったのでしょうか。

これは僕のサッカー感にもつながる話なので,時系列で追ってみましょう。

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【フォワード編】
監督「希望ポジションは?」
ぼく「中学はフォワードだったので,フォワードです。」

というわけで,最初はフォワードでした。

監督「おい。なんでお前はボールを持ったらドリブルでぶっちぎろうとばかりするんだ?」
ぼく「ぼくは足が速いので抜けると思って。」
監督「抜けてないよね?全然抜けてないよね?分かってる?お前のところで全部ボールロストしえいるの分かってる?パスって知らないの?
ぼく「ボール持つと視野が狭くなって実はよく分かっていません。」

1か月ほどでフォワードをクビになりました。ベンチでポカリスエットを作る日々が始まりました。

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【オフェンシブハーフ編】
下積み生活をしていたら,スタメンを発表する作戦盤(名前付きマグネットをペタペタ貼るタイプのやつ)に僕の名前が。オフェンシブハーフ?

フォワードから一列下がったおかげで,ポストプレーとかしなくて済むし,結構楽しい。勝手に動いても後ろがカバーしてくれるからここ良いな。

監督「源,次から出なくていい。」
ぼく「は?なんで?」
監督「試しに使ってみたが,お前には技術とセンスがない。

じゃあなんでここで使ったんだという話になりますが,とにかくクビになりました。ただ,オフェンシブハーフは,この後,人が足りないときにちょこちょこ使ってもらうことになります。

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【ストッパー編(ディフェンス)】
相手のフォワードをほぼマンマークする,ストッパーのポジションに僕のマグネットが作戦盤に。

普通,ディフェンスはフィジカル強い人がやるもんですが,ぼくのスペックは170センチ,体重56キロ(体脂肪2%)。どう考えても作戦盤のマグネットが間違えた位置にあると思って監督に確認したぐらいです。

ところが,個人的にはこれがどハマりしました。そもそもディフェンスは,「ボールを扱わなければならない攻めの人」と「カラダ一つの野獣」の戦いです。普通にやったら後者が勝つのは当たり前なのです(ただしメッシ除く)。
僕は足が速かったのでぶっちぎられることはないし,そもそもディフェンスの基本は「パスを受ける前にカットする」ですので,フィジカル勝負に持って行く前に勝負をディフェンスからしかけることができます。

そして,これ以降,かなり長期間ストッパー職人として研鑽を積むことになります。

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【サイドハーフ編】
ストッパー職人としてやりがいを感じていたある日,またもやポジションチェンジの指示がでました。
今度はサイドハーフ(サイドバック)です。
どうやら1対1のディフェンスでほぼ負けないようになった僕に,次のステップを与えた監督の配慮のようです。

基本相手に抜かれず(サイドを突破させず),機をみて上がれ,と。
幸いうちのセンターフォワードはベンチプレス120kgをあげる肉体派だったので,適当に真ん中に放りあげればなんとかしてくれる。技術のないぼくでもこれはいける。
2年生後半ぐらいの時期だったんですけど,この時期はサイドハーフとオフェンシブハーフを交互にやらせてもらうような時期でした。

なるほど。監督はここまで見据えた器用だったのか。

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【スイーパー編】
ここで事件が起きます。「源スイーパー事件」です。
スイーパーというポジションは現在ではほとんど見ませんが,簡単にいうと,「ディフェンスの中の一番後ろ」です。
ここを突破されたらあとはGKだけ。ディフェンスの一番重要なところ。ここが安定しないことにはチームに勝ちはない。そんな重要なポジションを,「チームで最も技術のない男」と監督に言われた僕が任されることになりました。

しかもタイミングが最悪の(?)タイミング。

3年生に上がる前後のタイミングでのポジションチェンジ。しかも,この時期はインターハイ予選を間近にした,チームコンセプトを決定しなければならない時期。

間違いなく,チーム全体が,「源を最終ラインに置いて勝ち上がらなければならない。」という危機感に襲われました。

ただ僕にとって救いだったのが,レギュラーGKが同期で,しかも新入生に明らかに上手いGKが入ってきたという事情がありました。
監督からすると,「今まで馴染んだレギュラーGKで戦うか,それとも伸びしろがある新入生GKにするか」の2択です。今までゴールマウスを守ってきた自負のある同期GKは心中穏やかではなかったでしょう。

さらに救いだったのが,僕と同期GKはすごく仲が良くて,帰宅方向も一緒だったということです。
あれは彼の方から持ち出してきました。

同期「源。監督は源をスイーパーで行くのは確定だと思う。」
ぼく「たぶんそうだろうな。平面でこられたらある程度は大丈夫だと思うけど,高さの勝負になったらやばい。梅ちゃん(長身,座高も高い。)だけでは対処できないかもしれない。」
同期「おれは生き残りたい。」
ぼく「おれらもぽっと出のやつよりお前にゴール任せたい。」
同期「おれと源,あらゆるシチュエーションに対応できるよう,詰めておこう。源と相性が良いことを監督が分かれば,おれは生き残れる。」

彼の「生き残る」という言葉には驚きました。ただの部活動で,そこまで入れこめるチームメイトがいるということは幸せなことだし,「生き残る」というのはまさに僕も1年生のときからずっと思っていたことです。

それからほぼ毎日,同期GKと練習以外でシチュエーションの確認作業が始まりました。帰りのバスや教室,練習後のグラウンドならもちろんです。
ボールの位置によって,それこそ1m単位でどちらがどうポジショニングを取るのか,どちらがボールにアタックをかけるのか,どちらが声をかけて指示をするのか,指示がダブった瞬間,どちらの指示を優先するのか,細部まで詰めました。懐かしい。

そして事件が起きます。

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【スイーパークビ事件】
インターハイ予選直前,ぼくがスタメン落ちしました。

理由は明確で,「利き足ではない左足で50mのキックができないから」です(監督談)。

利き足ではない左足の強化は以前から指示されていたのですが,スイーパーに転身した際,「とにかくおれのせいで失点してはいけない」という恐怖観念から,全てのクリアボールを確実な利き足で行なっていたのです。
しかし,同程度のレベル相手ならそれでごまかせるんですけど,格上相手を見越すとそれでは到底行けません。
そこで,監督は,ある試合中,「源!左でクリア!」「左使えや!」「ひだりぃ!」「てめえ◯◯ついてんのかぁ!左使ぇ!」などと決して罵声ではなく,指示をしていたのですが,全部無視しました。

翌日の作戦盤からぼくのマグネットが消えていました。

代わりにキャプテンがスイーパーに入ったのはいいんですが,ぼくよりかわいそうなのは,あれだけぼくとコンビネーションを詰めた同期GKの時間です。

普通,3年生になってスタメン落ちとか,なぐさめてもらってしかるべきなんですけど,同期GKはぼくにブチ切れてました(なんでスタメン外れてんだ,左足云々とか言われた。)。

ぼくは落ち込んでいたというと,実はそんなこともなく,「今更左足が急激に向上するわけないだろう。右足を使った判断は間違っていない。」という間違った判断をしていたのでどうにでもなれ,と思っていました。

そしてついに最終局面が訪れます。

===============
【ディフェンシブハーフ編】
インターハイ予選数試合前(たぶん1か月くらい前),何故か作戦盤にぼくのマグネットが。
しかもディフェンシブハーフ(ボランチ)に。

同期はみな興奮していましたが,ぼくは意味がわからなかったので,監督に直談判に行きました。
これは割と本気の直談判で,ボランチ向きの一個下のやつがいて,どう考えてもそいつの方が適任だったと思ったからです。3年最後だからと言って,そんな理由でスタメンもらっても嬉しくない。

理由は以下のとおりです。
・中盤を仕切っていたキャプテンをスイーパーに下げたことにより中盤の厚みが減った。
・中盤に上手い奴はそろっているが,ハードワークができる奴も必要。
・上に行けば行くほどうちの部員より強い奴がいる。その対策を初戦からやる必要がある。システムとして試してみたい。
・期待しているのは本当に中盤のケア。攻撃参加はおまけでいい。
・ケースによってはディフェンスラインに入るというオプションも考えて置いてほしい。

ということでした。

ただ,うちの部員ならわかると思いますが,監督がこんなことを言うわけはなく,当時のほぼ原文ママのやり取りはこんな感じです。

おれ「あそこ(ボランチ)に置いて,おれに何しろって言うんですか。」
監督「おまえ,平面で(空中戦じゃなくて)止められなかった相手って覚えているか?」
おれ「暁星の前田です(注:現FC東京の前田遼一選手。当時U18日本代表)。」
監督「そんなん当たり前だろ。違う。もっと現実的なやつ。」
おれ「うーん。やっぱC先輩(上記神奈川ベストイレブン)ですかね。練習でも抜かれまくってましたかね。」
監督「うん。Cに対しては怪我の遠慮とかもあるだろうけど,仮にCのレベルの相手で,それが相手校だったらどうだ。」
おれ「どうですかね。相手によるんじゃないですかね。」
監督「お前は本当におれの言いたいことがわからないやつだな。」
おれ「と言いますと?」
監督「試合始まって5分も経てば,相手のチームで一番上手いってやつ,わかるだろ?」
おれ「わかります。」
監督「そいつを殺せ。」
おれ「(察した。)手段は?」
監督「イエローカード1枚までは許す。」

==============
なお,上記「殺せ」というのは隠語で,「相手選手をゲームに参加させるな。プレイさせないようにマンマークして,ゲームから消せ。」という意味です。

要は,ぼくと相手が潰し合えば,11対11のサッカーのゲームが1枚ずつ減って,10対10のゲームになります。

ところが相手チームの減った1枚というのは「攻撃の要」であり,他方我々のチームの減った1枚というのは「チームで一番下手くそ」ということになり,理論上はこちらのチーム有利ということになります。

将棋でいうならこちらの歩一枚で相手の飛車の動きを止められないか,というシステムです。

懐かしい話ですが,これが正直楽しくて,相手の嫌がること(ただしファールはしない)を繰り返し繰り返しやり続け,チームも後輩を含めた全員で勝ち上がり,そのまま引退しました。

サッカーに関しては,高校3年間であれほど生き残りのための努力と知恵を絞った濃密な時間を過ごせたと思い,一度はやめようと思ったサッカーで,あんなに幸せな経験ができて,もう十分だと思ってしまいました。その程度の選手だったということでしょう。

人間的には褒められたチームメイトではありませんが,実際当時は喧嘩ばっかりしてましたし,でも,あれ以上のチームに所属して本気の勝ち負けをかけてヒリヒリした試合をすることは,もう一生ないと思っているし,それだったら,あのチームをおれの最後のチームにしたいと思って,今はすっぱり辞めてしまいました。たまに遊びで蹴るのも悪くはないですけどね。

なお,おかげさまでGK以外全てのポジションを経験させてもらったので,草サッカーでは重宝します。足りないところぼくやるんで。

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というわけで,お盆なので昔話を書いてみました。

懐かしいなぁ。

よく吐いたなぁ。

二度と戻りたくないなぁ。


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