2014年8月8日金曜日

じーちゃんの部屋

もうすぐ終戦の日ですね。渡部です。


だからという訳じゃないんですが,毎年この時期になると思い出すことがありまして,なんか最近戦争に関する意見を述べる人も多く,それに乗じてみようかなと思った次第でございます。

なお,今回は完全に昔話回であり,集団的自衛権や反戦云々の話をご所望の方は完全に無駄な時間を費やすことになりますので,回れ右した方がいいです。



ぼくの父方の祖父の話です。

じーちゃんは,ぼくが大学生のときに亡くなりました。

今はきっと天国で隠居生活を送っているので,多少ぼくが何を書いても許してくれるでしょう。ねぇ?じーちゃん。



じーちゃんの家は群馬県の田舎にあり,それはもう今考えても正真正銘の田舎でした。

まずコンビニがありません。

というかスーパーがありません。

というか駅が遠すぎてバスを使うしかありません。

そもそもバスがなかなか来ません。

そして,ぼくにとって一番問題だったのが,ファミコンがありません。

昭和50年代生まれの方の幼少期において,最大の娯楽と言っても過言ではないファミコンが存在しない地に行くことは,自分にどんなメリットがあるのか全く分からず,ぼくはじーちゃんの家に行く直前,必ずぐずっていました。



ただ,じーちゃんの家に行ったら行ったで,すごい面白いんで,帰るときまたぐずるんですけど。



父方の親戚はぼく大好きなんで,その人達と会えるのは楽しくて仕方なかったです。

そして何より,じーちゃんがすごい遊んでくれました。



ぼくのじーちゃんは,(たぶん)自分の息子と娘(ぼくの父と叔母)にすごい厳しい人でした。

他方,孫には超甘いという,典型的な「ジジバカ」で,天衣無縫なぼくを一度も怒った事がありません。我ながら孫が可愛くて仕方なかったのでしょう。

じーちゃんの家は田舎の戸建てで,庭に畑もあり,農具も揃っていました。

例えば,畑の脇をコースと見立てた「リヤカーレーシング選手権」(押すのはじーちゃん)を行ったり,畑の収穫を手伝った後,孫にせがまれスペースを作り,「本当に炎は天まで届くのか選手権」を開催したり,なんでもやらせてくれました。


更には,原付バイクの運転の仕方(もちろん公道ではなく敷地内。一人では乗らせない。),自動車のエンジンの掛け方,キーをなくした場合の直結の仕方等,教えてもらった事は枚挙にいとまがありません。

ちなみに,これらはぼくが10歳のときまでに習得した技術です。じーちゃんはいったい孫をどういう方面に進めたかったのか,今でも分かりません。

(堅気でやってるよ,じーちゃん。安心してくれ。まだ堅気だ。)





さて。

このように孫に対して激甘なじーちゃんですが,はっきり言われた訳ではないんですけど,ぼくが守らなければならないルールが1つだけありました。

それは,「じーちゃんの部屋に勝手に入らない。」です。

じーちゃんの部屋,まぁ普通の書斎なんですけど,そこはじーちゃんの世界だから,勝手に入っちゃダメだよ,ということを幼少期から言われておりました。

もちろん,じーちゃんがいるとき,一緒に部屋に入ったことは何回かあります。それでも,記憶している限り,数えるほどしかないと思います。

あ,言い忘れていましたけど,ぼく,じーちゃんがどんな仕事してたか知りません。聞いたことないし。

唯一知っている情報は,「戦争に行ったことがあるらしい。」です。



ここで少し,じーちゃんの部屋の内装の情報をお伝えします。

ぱっと見,普通の「書斎」です。10歳のぼくには何の本だか分からないハードカバー的な本がいっぱいありました。

何が普通か分かりませんが,少なくともぼくの書斎と違う点が1つあります。

それは,なんか壁の上の方一面に,でっかい昭和天皇陛下のお写真が飾ってありました。

今考えると,バリバリあっちの方じゃないですかというのが丸出しでした。

そんで,机の上に,じーちゃんが戦争行ったときに実際に使っていた,あの迷彩柄っぽい日本軍の水筒が置いてありました。



「じーちゃんの部屋」にじーちゃんがいないときに勝手に入ることは絶対やってはいけないことと刷り込まれておりましたので,「じーちゃんの部屋」に入るのは,じーちゃんが「じーちゃんの部屋」にいるときだけです。

ただ,じーちゃんは,孫が来ているというのもあるのでしょう,滅多に「じーちゃんの部屋」に入りません。

夏休み,1週間ぐらい泊まりがけで行っても,1回入るか入らないかでした。





ぼくが10歳くらいの頃のある日。

じーちゃんが「じーちゃんの部屋」で軍の水筒でお酒をちびちび(たぶんウイスキー的な何かだと思う。ちょっと飲んだけど味は分からなかった。)飲んでいました。

「じーちゃんの部屋」に入る大チャンスです。よく考えて下さい。10歳の男子ですよ?戦争とか戦いとかそういうの大好きな年頃じゃないですか。

部屋にはぼくとじーちゃんだけ。これは千載一遇のチャンス。

ぼく「じーちゃん,それ何?」
祖父「水筒だよ。」
ぼく「それ,戦争の水筒だよね?」
祖父「そうだよ。」
ぼく「何飲んでるの?」
祖父「お酒だよ。」
ぼく「ちょっと飲ませて」

すいません,倫理的な問題が生じたので,ここの部分をちょっとカットします。

ぼく「不味い。」
祖父「源ちゃんが飲むものじゃないからなぁ(笑)」
ぼく「じーちゃんてさ,戦争行ったんでしょ!?ばーちゃんが言ってたよ!」
祖父「(酒を飲む)」
ぼく「人を殺したの!?(好奇心いっぱい)」
祖父「(頷きもせず,机の上を見つめてただ微笑んでいる)」
ぼく「どこに行ったの?」
祖父「(ぼくの顔は一切見ず,ただただ微笑み続けている)」

まさかカブの運転の仕方まで教えてくれたじーちゃんが,ここで黙秘権を行使するとは予想していませんでした。

おかしいな,学校の先生とかも,「戦争の体験をした人の話は,ちゃんと聞くんだよ」と言っていたのに,この人全く話さない。

ていうかなんか空気がおかしくなってきた。

ぼく「じーちゃんはどうして帰って来られたの?」

今考えると孫のこの質問は酷過ぎる。あまりに無垢。

そんなじーちゃんは,こう答えました。




祖父「じーちゃんはね,後ろの方にいたから助かったんだよ。(微笑みながら)」
ぼく「ふーん。戦争って,どうだった?」
祖父「(微笑みながら,また酒を飲む。)」
ぼく「友達は,いた?」
祖父「いたよ。」




ここまで来てようやく,10歳ながらにして何かを感じとり,「UNOやろう!UNO!」とじーちゃんを「じーちゃんの部屋」から引っ張り出しました。




ぼくの周囲の人間の中で,もっとも戦争を知っているであろうじーちゃんは,その後死ぬまで,一切ぼくに戦争のことを話しませんでした。

この後も,何回か聞いたことがあるのですが,結局じーちゃんの口から戦争のことは一言も聞いたことがありません。

戦争から生き残った人間は語り部として生きて行かれることもすごい大事だと思います。

特にぼくはじーちゃんの孫です。孫にいろんなことを伝えることは,祖父としても容易にできたと思います。

それでも,死ぬまでぼくには話しませんでした。

ぼくがどんなに学校で不真面目な態度を取り,先生と親を困らせ,ろくでもない人間になりかけたことは,全部じーちゃん知ってます。

それだけ切り出すタイミングがあったのに,最期までじーちゃんは話しませんでした。






「孫に死ぬまで自分の体験を話さなかったこと」





このことはいろいろな解釈ができますし,ぼくもいろいろ想像はできますが,祖父のこの選択を,ぼくは非常に重く受け止めています。

一度も怒られなかったんだ。おれとじーちゃんの内緒の話書いても,まぁじーちゃんは怒らないっすよ。



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