2015年8月1日土曜日

法政女子さんへ(雑感)

一日に二回も更新するブロガーの鑑。渡部です。

前記事のとおり,この記事は法政女子のことを書こうと思ったけどやめました。

だってよく知らないし。

そこで,大会全体を通して見た雑感を,法政女子の皆様宛(という体にして)書こうと思います。


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今回,出場された皆様におかれましては,一つのことだけ考えて,いや,考え続けて頂きたいと思います。

一つだけです。

それは,「プレゼンテーションは自分以外の他者のためにあるもの」ということです。

相手への伝え方,と言い換えても言いかもしれません。



今回の教材に取り組まれ,「多角的なものの見方」というものを体感されたと思います。

被告人の目線,証人の目線,様々な目線があり,それぞれの立場に立つことにより,一つの事象が様々な顔になるということは既にご承知だと思います。

私は後進の指導の際,「自分が見えている世界が全てではなく,人の数だけ世界がある」というようなことを偉そうに言ったりします。

そういった経験をされたことは,今後,そのようなものの見方を習得するのに大いに役立つことでしょう。



ただ,それだけではいけません。自分が多角的な見方をできたところで,その時点では多角性は自己の中で完結しており,その素晴らしい見方を他者に伝達できてこそ,意味があるのです。



実はこれは大変難しいことでして,はっきり言って,現場の弁護士でも試行錯誤しているところです。

例えば,今回,皆さんは「論告」「弁論」という,言わば裁判官(裁判員)に自身の意見を伝達するという特殊な経験をされました。

尋問で出た結果や,他の証拠から推測される事実をいろいろ自分なりに検討されたと思います。

そして,それを余すこと無く,論告弁論に反映させようと努力されたはずです。

その方向性は,決して誤ったものではありません。



他方,裁判官や裁判員の立場に立ってみましょう。そうです。あなた方が証人や被告人の立場に立って物事を考えたときと同じことをやってみるのです。

裁判官は裁判が始まるまで,証拠を見ることができません。あなた方のように,証拠が精査できていないのです。そしてそのまま冒頭手続きが始まり,尋問が始まるのです。

裁判官はまだプロフェッショナルなのでいいかもしれません。しかし,素人の裁判員はどうでしょう。どこがこの事件のポイントなのか,きちんと把握した状態で尋問に臨めるでしょうか。

もちろん,本当に上手な尋問というのは,尋問対象者との会話のような流れになり,聞いているだけである程度事件のポイントが分かってきます。だけど,このように上手な尋問ができるのは,弁護士の中でも数が限られてくると思います。当然,私はまだまだその域に達していないと思いますが。



そうすると,論告弁論は非常に大きな意味を持ってきます。なぜ冒頭陳述で事件の読み上げをしたにも関わらず,尋問等の証拠調べの後に論告弁論を行うのか。ここを是非考えてみて頂きたいと思います。

論告弁論は,要するに「事件のまとめ」です。

今まで出てきた複雑な証拠構造を整理し,裁判官が判決を書く前に,正確な事件像を裁判官に伝える。これが論告弁論の持つ意味の一つです。



ここでよく陥りがちなのが,「自分のための論告弁論になっている」ことがあるということです。

自分は証拠を精査しているという自覚があるし,裁判官もある程度「ここは分かってくれている」という慢心もあるでしょうし,そもそも証拠構造というものは考えれば考えるほど複雑になります。

そして,それをそのまま裁判官に伝えてしまうと,裁判官が事件の全体像というものを誤ったまま判決を言い渡す作業に移行してしまうということです。




繰り返しますが,論告弁論は自分たちのためにあるのではありません。裁判官や裁判員のためにあるのです。



話は変わりますが,私の尊敬する偉人の一人に,スティーブ・ジョブズ氏がいます。Apple社の創業者で,ここで書くまでもないぐらい現代のネットワークシステムに影響を及ぼした人物ですが,一点,ジョブズ氏の才能の中で特筆するものがあります。


それは,プレゼンテーション能力です。


機会があったら,ジョブズ氏のプレゼン動画を見てみて下さい。iPhoneの発表プレゼンや,大学の卒業式のゲストスピーチや,様々なものがあります。

様々なものがあるのですが,ジョブズ氏の話の入り方は,実は一種類です。



「私はこれから◯◯,△△,◇◇の3つのことについて話そうと思います。◯◯,△△,◇◇の3つです。」
「私がこれから取り組もうとしていることには,3つの問題があります。◯◯,△△,◇◇です。この3つをどうするか,これからお話します。」



ジョブズ氏は,必ず話す項目を「3」に設定します。厳密に言えば,「原則3。できればそれ以下。多くても4。」です。

そしてその話す項目を必ず述べた上で,本文に入ります。手元の原稿なんて見ません。必ず全ての聴衆の顔を見て,今自分が話していることが他者にどのように伝わっているのか,伺っているのです。

そしてプレゼン中,その「3」つの項目をとにかく繰り返すのです。繰り返して繰り返して,聴衆の脳裏に焼き付けるのです。

実はこの「3」というのには理由があり,人間が一つの話の中で記憶できる最大量が「3」と言われているためです。普段受けている授業を思い出して下さい。先生の言っていることを全て覚えている授業は無いはずです。むしろ,先生の話が脱線して面白くなったときや,先生が何回も繰り返し使わせる公式の方が脳に焼き付いているはずです。




話を戻しましょう。私は,これは裁判でも同じだと思っています。

裁判官も裁判員も同じ人間です。自分のことではない第三者の事件の意見を10分間延々聞かされて,全て頭に残るはずがありません。何故なら人間の脳はそのような仕組みになっていないからです。

そのため,裁判官に「これだけは伝えたい(=記憶して欲しい)ところ」を強調する必要があります。

自分が分析した事件結果は,漏れなく裁判官や裁判員に伝えたいのが人情だし,その姿勢は間違ってはいないのですが,繰り返しますが「プレゼンテーションは自分以外の他者のためにあるもの」ということです。自分が「言い切った」と満足するために論告弁論があるのではなく,「裁判員に理解させること」に重点を置くべきです。

論告弁論で,冒頭陳述をなぞるやり方を賞賛する弁護士もいるかもしれませんが(なんか去年そんな人いたと聞いた),ぼくはそれは論告弁論の意味はないし,裁判員も飽きると思います。

飽きられたらおしまいです。その後どんな良いこと言っても聞いてもらえません。だからこそ。「伝え方」が大事なのです。あくまで自己完結する「報告」ではなく,他者との「対話」が論告弁論です。

法政女子さんも含め,ぼくはほとんどちゃんと戦いを見ていない(知り合いの先生に挨拶したり遊んだりしていた。)し,記録もちゃんと読んで構成を練っていませんが,楽しい論告弁論はいくらでも思いつきます。ぼくが面白いだけでは意味がありません。相手が面白くなってもらわなければなりません。それが「プレゼンテーションは自分以外の他者のためにあるもの」ということです。

例えば,今回の教材は論告の方が難しかったと思います。各校どんな論告をしていたかぼくは知りません。知りませんが。

「…(前略)さて,本件では弁護側が実行行為それ自体,ないし殺意も争ってきているのでしょうか?そのような事件であります。殺人の実行行為が行われていないというのが弁護人の主張なのでしょう。しかし皆さん,よく思い出して下さい。キーポイントは,「南供述」,「被告人の犯行前の行動」,「被告人の犯行後の行動」です。もう一度言いますよ?「南供述」,「犯行前の行動」,「犯行後の行動」です。この3点を中心に考えて行きたいと思います。まず「南供述」です。視認条件も十分な状況下で,証人は被告人の実行行為を「見た」と言っているんです。いいですか,「見た」と先ほど,この法廷で,宣誓もした上で述べたのです。(以下略」

ちょっと面白そうなの始まりそうでは無いですか?

「(前略)まず検察官が軸にしている「南供述」について考えて頂きたいと思います。弁護人の意見では,この「南供述」は全く信用できません。正確に言えば,「被告人の実行行為を見た」という限りにおいて,信用性はゼロでしょう。先ほど,検察官は南供述の信用性を縷々述べておりましたが,結論から申し上げて,証人はそのような事実を見ていない可能性が極めて高いと言えます。その際ご検討頂きたいのが3点。3点だけです。まず,思い出して頂きたいのが,「何秒見ていたのか」という質問に対する答えです(以下略」

これ以上内容に踏み込むと日弁連のえらい人からなんか来るかもしれないから書きませんけど,ぼくだったらこんな入りをするだろうなと思いました。

プレゼンテーションとは,相手があることであり,相手がたまたま発言しない(発言できない)というだけであり,基本,「対話」であることを忘れてはいけません。

きっと,「論告弁論では,重要な項目ほど,最初に挙げて行った方がいいよ」というような話を支援弁護士から聞いたかもしれませんが,それは,重要なことを最後の方に言うと,相手が「飽きていて聞いていない」ことがあるからでもあります。

論告弁論は,あくまで裁判員との「対話」なのです。




さて。この「伝え方」の話は非常に難しく,ぼくも使いこなせていません。

賢明なる読者の方はお気づきかもしれませんが,本投稿は繰り返し「プレゼンテーションは自分以外の他者のためにあるもの」というフレーズを焼き付けようとし,そしておそらく失敗しています。眠い中書いているから仕方ないね。

さて。伝える能力は,別に裁判に限った話ではありません。

面接の場,授業中の発言の場,交友関係の場,他者と触れ合うありとあらゆる場で必要になる能力です。

その都度,時と場所とシチュエーションに応じた伝え方を考えなければなりません。

多角的なものの見方で満足しないで下さい。それは,料理で例えるなら「新鮮な食材を仕入れられるようになった」に過ぎません。

伝えるということは,「仕入れた食材をお客様に提供する」ということです。どんなに自分が頑張った料理でも,美味しくなければ客は去ります。

そう,料理はお客様のためにやるのです。プレゼンは聞いてくれる人あってのものなのです。その根本を,歳を重ねれば重ねるほど,地位を得れば得るほど,人間というのは不思議と忘れて行くものなので,是非,この夏培ったものを,ご自身の糧にして頂き,適当な人生を送って下さい。

頑張らなくていいです。適当ぐらいがちょうどいいとぼくは思います。



(今日の一言)
ジョブズみたいなプレゼンは無理だった。


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